生きづらさや働きづらさを持つ若者に対して、30年、40年前から若者支援/就労支援をされているひとたち、言ってみれば業界の大先輩、パイオニア団体の目標は「食っていく」ことでした。
もちろん、「食っていく」にはさまざまな形がありますが、それが必ずしも「就職」一本ではありませんでした。また、それは地元や日本という狭い世界の話でもなく、日本社会で生きづらい若者に、異国の地を踏む機会を作り、その国で生きることを選択するということもありました。
食べていく、生きていくの範囲が非常に広く、一方で、専門性という言葉が使われるほど若者支援が一般化も社会化もされていなかった時代のことです。とにかく一緒に暮らし、どうしたら「食っていけるか」をともに考え、ときには職を作ることもしていました。
そんな試行錯誤とある意味での自由さを持った若者支援も社会化されるなかで、政府や行政が動き、多くの優秀な専門家が流入してきました。小さな取り組みが大きく広がった2000年代前半でした。
少なからず若者支援団体は行政とのパートナーシップにより、公的事業を開始します。このときの経営判断でもっとも分かれたのは、「経済的余力のない若者に支援ができる」ことでした。そして難しかったのは、それまで有料サービスであった支援を残すのか、なくすのか(新規団体であれば有料サービスを作るのか)だったと思います。
事業性を考えた場合、どこからかの収入が必要です。これまでの(今も)収入は支援開始から終了までの間に生まれるビジネスモデルで、これは人材紹介企業などの「仕事につないだ後」で収入を得るビジネスモデルと対極にあります。それが自己負担であろうが、公的資であろうが、支援開始時に発生することは変わりません(後払いはあります)。
それらで求められたのは「食っていく」ことであり、それが期待される自立の姿でした。自宅から出られたらいい、働けるようになったらもっといい。特にご家族は加えて、正社員ならいい、名だたる企業や公務員ならなおさらいい、安心できるが追加されます。 そこに公的事業の流れが生まれ、若者が食っていくためにどうしたらいいかを、ともに生活するなかで見つける支援から、正社員を頂点とする雇われる支援に傾倒し、いつの間にか雇われるためにはどんなサービスが必要か(だけ)を考えがちになりました。
しかし、社会は変化し、時代も移り変わります。何より、若者が希少財化したなかで、若者を雇いたいと考える企業が若者支援分野に対して積極的にアプローチをしてくるほど、10数年前からしたら考えられないことが起こってます。 僕は就職がだめとか、いいとかではなく、改めて「食っていく」ということを考えたとき、この変化に対して正社員を頂点とした雇われる支援“だけ”ではない就労支援の次の形を模索しています。
仮に安定が最上位であった場合、直近では正社員という立場の安定度はほかに比べて高いかもしれませんが、これから50年くらい生きていく若者にとって、それだけでいいのだろうか。役に立っていることだと言えるのだろうか。雇われることに加えて、自分の得意なことや好きなこと、やってみたいことを商売にしてみる。全然売れなくても、まったく収入にならなくても、好きだから続けられる。それがもしかしたら誰かの手にわたって、収入にもなるかもしれない。
それだけでは「食っていく」のは難しいかもしれないけれど、「食っていく」選択肢が、雇われることと好きなこと、大切にしていることも重ねやすい時代において、働くこと、働き続けること、今後何十年を見越して「食っていく」ことの種を撒くことも就労支援の新しい形ではないかと思っています。
先日、現状では「雇われる」ことからとても遠い状況にある女性が、イヤリングなどプロダクトを制作できることを知りました。スタッフはそれを見てオンラインフリーマーケットへの出品を提案、手伝いました。そしてそれはすぐにSOLD OUTとなりました。
それによって彼女はこれで生きていこうと思うかもしれません。それでもかまいません。また、少しずつアルバイトなどを始めつつ、好きなプロダクトを世に送り出し、複数のチャネルで収入を得ていくことと選ぶかもしれません。正社員になりたいと言えば応援します。
ただ、僕はその一連のプロセスを見ていて、「あっ、こういう支援ってあるようでなかったし、ないようであるな」と思いました。それは原体験的、また歴史的に若者への就労支援を続けてきたひとたちの「食っていく」ための支援から現代につながっているのではないかと。
今年も大変お世話になりました。また来年も引き続き、若者・子どもたちに貢献できるよう努力します。また、一緒に次世代を支えてくださる仲間も募っています。働き方、かかわり方はいろいろありますので、ご興味あれば一報ください。
理事長 工藤 啓