山本賢司と申します。
「なんかメルマガに、もっと支援者の考え方とかが分かるような原稿を書いてくれる人いないかなぁ…」なんてつぶやいていたら、「なら自分で書きなさい」という流れになり、実はちょっと書きたかったのでスペースいただくことになりました。よろしくお願いします。
何を書こうか迷ったのですが、今回は「どうして背中を押すときに、選択肢を3つ提示することを推奨しているか」にします。
選択肢を3つ、提示する
必要なんだけれど、なんとなく気の進まないお買い物。
どれにするか決めかねているときに、見かねた友人から「もうAにしなよ」と言われたら、どう思いますか?
ちなみに僕は「……いま考えてるのに…うるさいなぁ。。」と考えて、結局Aにすることが多い人のため、一緒に買い物に行く友人からは、なかなか手強い相手と思われている気がします。
自分がこのような人間だからかどうか分かりませんが、こういった場面で自分が誰かに提案するときには、3つくらいの選択肢を提示するようにしています。
例えばパソコンを選ぶときには
「安いのはAだね、Bは少し高いけど機能が良いね、値段と機能バランスがいいのはCかなぁ…」
のように言いながら、「あとは、どれを重視するかで自分で決めてね」という感じです。
決めてほしそうな眼差しを向けられる場合もありますが、僕が決めることはしません。
若者と仕事の応募先を決めるときにも、希望を聞き取りながら候補を絞っていくのですが、どの求人から応募するかは自分で決めるよう、強調して伝えます。
相手によっては「僕はこの求人からが良いと思うけど」くらいは伝えることはありますが、「この求人にしなさい」と指示的に言うことはありません。それは、悪い結果になったときに、「応募しろと言われたから応募したけどダメだった」と思われてしまうことがあるからです。
”選択”を経験する
なぜ「3種類」なのか…理由は簡単です。
たった1枚のチラシを見せて「こういうところもあるけど、どう?」と、どんなに優しく問いかけたとしても、それは、「ここに行ってほしい」という暗示に受け取られてしまうからです。
「自分のせいだけではない」とすることは別の観点から非常に大事です。しかし「誰かのせい」は感情をやり過ごせても、失敗からの学びにはならず、同じか、形をかえて繰り返してしまう…というのが経験則です。
一方で「ここは近いし無理なく通えそうだね、こっちは給料は良いけど仕事を覚えるのが大変そうだね、これはハードかもしれないけど、名前も知られていて信用できそうかな」などと伝えながら、
「でも選ぶのはアナタだから、この中であればどれが良さそうか考えてみてね」
「気になるところがあれば問い合わせてみて、気に入らなければ別のところにしよう」
という感じで提案し、本人が自分で”決めた”ときには、仮にうまくいかないことがあっても「決めたのは自分」というところから振り返ることができます。うまくいけば自信にもなりますし、意思を尊重されたことへの感謝も生まれるかもしれません。
もちろん、いつでもこの形が良いのかと言われれば、人が相手ですから、そうではないところもあります。
あまりにも非現実的な方向で決めてしまいそうな場合には意思を尊重するだけでは良くないですし、自分で決めてくれるのを待つだけでは、結局、動き出せない……という心配もあります。このあたり、特に「待ち方」についても書きたいのですが、だいぶ長くなってきてしまったので、今回はここまでで。次回は、「待ち方」について書きたいと思います。
なお、こういったことをもっと早く、もっと詳しく知りたい場合には、次号を待たずに、試しに一度、無料説明会や相談会にお越しくださいね。締めくくりがCMっぽくなり、すみません(苦笑)。お読みいただきありがとうございました!
理事・事業戦略室長
山本賢司
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